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ブログ

好きなことについてひたすら語るブログです。

超自我関係――母とは傷を抉り合っていたのかもしれない。

 今日は、不仲な母について話します。

 私は、ずっと母に意地悪をされているように感じていました。親戚の集まりの場で身長が伸びたことを報告したときも「背が低いいとこの気持ちも考えろ」と怒られ、テストで100点とっても「妹が傷つくから見せちゃダメだよ」と注意されました。要求し続けた末にやっと買ってもらった――私が勝ち取った携帯電話やコンタクトレンズを、妹は当然のように与えられました。私が母のご飯に丁寧に感想を言うと怒鳴られましたが、妹が文句(にしか思えないこと)を言うとそれは貴重な意見として受け取られました。何より、私がやりたいことはいつも反対されました。

 とにかく、何かとすぐ大喧嘩になりました。小学校高学年くらいから一緒にご飯を食べるだけで喧嘩が起こるようになり、次第に母とはご飯を食べなくなりました。高2までは一緒の寝室で寝ていましたが、別の部屋に私が移りました。

 私の高校生の頃のポリシーが「臥薪嘗胆」であったことも、母との確執を如実に表しているように思います。不穏です。当時は毎晩、絶対に私を傷つけた母を許さないと心に誓っていました。毎晩わざわざ誓わなければならなかったのは、私が一晩寝れば憎しみを忘れてしまうお人好しだったからにほかなりません。その意味で、「臥薪嘗胆」は良いチョイスだったなと思っています。(笑)

 

 

超自我関係=地雷を踏み合う関係

  MBTI®において、母と私の関係は超自我関係と言われているようです。超自我関係とは、2文字目と3文字目だけが異なる2タイプの関係を指します。文字通り、一方が他方の超自我として作用する関係です。つまり、自分の触れてほしくないところに触れてくるような関係、もっとカジュアルに言えば、地雷を踏み合う関係

 私はINFJ、母はISTJです。以下は、両タイプの使う4つの機能です。

  INFJ: 内向N→外向F→内向T→外向S

  ISTJ: 内向S→外向T→内向F→外向N

 ISTJは、客観性と自分の感情の両面から導かれた(外向T・内向F)、正確な事実について語ります(内向S)。一方INFJの盲点は現状把握(外向S)です。盲点と表現したのは、自覚できない短所だからです。つまり、ISTJがいくら事実を指摘しても、INFJには理解できない視点であるため、ただ「粗探しをして自分の足を引っ張ってくる」ように感じられます。

 また、INFJは、共感能力と自分の論理の両面から導かれた(外向F・内向T)、信頼に足る洞察を語ります(内向N)。ISTJの盲点は未来予想(外向N)です。そのため、INFJの洞察はISTJには理解できないどころか、「自分の内面に土足で侵入してくる」ように思われるのかもしれません。

 

お互いに傷を抉り合っていたのかもしれない

 以上の分析から、母と私の確執についても説明することができます。

 ISTJの母にとって、妹と私を平等に扱うこと、集団の中で悪目立ちさせないこと、不安定な生活をさせないこと…これらはすべて善意だったのだと思います。私に携帯電話を買ってあげるなら妹にも買ってあげるのは当然であり、私が人前で自慢ばかりする嫌な子供にになっていることを指摘するのも当然だったのでしょう。突飛なことを言い出したら制止するのも親として当然の役目なのだと…。残念ながら、これらの善意は、INFJの私にはただの「意地悪」のように感じられました。

 逆に、私の振る舞いや言葉もまた、母を不快にさせていました。私が中学生の頃に母に放った「何者にもなれないと諦めて、ただ歯車のように生きて死ぬの?」という言葉が、今でも母に刺さっているということを、最近聞かされました。もちろん私は傷つけたくて言ったつもりはなかったのですが。

 善意で近づいたのに、自分の善意をわかってもらえないどころか、悪意をもって返されるように感じられる関係、これが母との関係なのだということです。私は母と傷を抉り合っていたのでしょう、そんなつもりもないままに。

 

 

母とは一生、和解できない

 どうやら超自我関係の2人がやっていくコツは、心理的距離を適切に保つことだそうです。これは、私にとっては非常に辛い現実です。

 私は母に対し、手を変え品を変え、自分の内面をアピールしてきました。母に私を理解してもらいたかったのです。喜怒哀楽を大げさに表現すれば、わかりやすいキャラクターを作れば、良い成績をとれば、言葉で説明すれば、発達障害について知らしめれば、MBTI®を伝えれば…。どれもうまくいきませんでした。そして一生、うまくいくことはないのだと思います。

 「母とは一生、和解できない」、私はこの現実に未だ向き合うことができないのでしょう。だから、母と喧嘩し憎しみを抱きながら寝ても、翌日すっかり忘れてまた母に話しかけてしまう。時に母の死を願ってしまうのも(不穏)、1人暮らしを始めたのも、物理的に距離を置けば楽だからなのです。母との心理的断絶を見なくてもいい。母が絶対的に他者であることを受け入れなくてもいい。「和解する前に死んでしまったから仕方ない」、「最近会ってないから仕方ない」、そうやって自分に言い訳がしたかったのです。

 

 

 来月、実家に帰ることになりました。母は「いつかまた1人暮らしするなら…」と言いますが、もう私は1人暮らしはしないかもしれません。私の当面の課題は、この和解不可能性から目を逸らさないことだからです。MBTI®は、私にとって不都合な現実を突き付けましたが、私はそれを受け入れなければいけないとどこかで感じているのです。そうでもしない限り、いつか誰かと完全に融合して、私の全てが受け入れてもらえるだろうという幻想を打ち破れないからです。そんなものは、勿論ない。