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タイトル考え中。MBTI、ソシオニクス、その他好きなことを自由に書いていきます。

相性の良いタイプとは何なのか考え直してみた。

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私が最高の相性だと思ってきた組み合わせと、ソシオニクスで最高の相性である組み合わせでは齟齬がありました。そしてソシオニクスの相性にどうも納得がいかなかったのですが、なぜ納得がいかないのかについてよく考えてみることにしました。

双対関係が自分を救う

ソシオニクスにおける最高の相性とは、真逆のタイプ同士がおりなす双対関係というものでした。ENFPとISTJ、ESFJとINTPなどがそれにあたります。

↓参考

 

この双対関係がなぜ最高の相性なのかというと、お互いの自我がお互いの超イドにあたるからです。超イドは自己実現、すなわち「自分のため」に必要なものですが、双対関係のパートナーからはその超イドを学ぶことができるのです。

超イドを学ぶことができないとどうなるかと言うと、超自我とイドの対立をとめることができません。超自我は「社会のため」であり、イドはそんな超自我に対抗するのですから「反社会的」で「身勝手」なのです。つまり超イドなしでは、「自分はクソ(超自我)」と「社会はクソ(イド)」を行ったり来たりするだけのまるで生産性のない葛藤を続けるはめになるのです。

いわば、そういった葛藤から自分を守る術を双対関係は教えてくれるのです。それは確かに、最高の相性と言ってよいと思います。

超自我は無視できない

それでも残念なことに、人間がどこまで行っても社会的存在であり、社会のしがらみの中でなんとかやっていかなければならない以上、自分のためだけに生きることはなかなか難しい。様々な価値観、様々な制度の中でうまくやっていくためには、社会へ自分を合わせていく努力は依然避けられません。つまり、超自我の命令は相も変わらず無視できないわけです。

そうは言ってもソシオニクスでは、一方の自我が他方の超自我にあたる組み合わせ(例えば、NFJとSTJや、NTPとSFP)は相性が良くないということになっています。そして確かに超自我関係の母との相性は良くないと感じます。

しかし私は、この相性の良くなさの原因を一方の自我が他方の超自我にあたることとするのは、ある意味で正しくある意味で間違っているのではないか、と感じました。それは、超自我というよりはむしろ、一方の創造機能(2nd)が他方の脆弱機能(4th)と一致すること、これこそが問題なのではないかと考えたからです。

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2ndは、敏感ですがストレスを感じやすく人に見返りを期待しがちな機能です。また、4thは、最も苦手でできれば使用は避けて通りたい機能のことです。つまり、超自我関係では、相手が全く気づいていないミス(4th)を、つい尻ぬぐいしてしまう(2nd)。あるいは、やりたくもないしできもしないこと(4th)を、相手が見返りとして期待してくる(2nd)。このように超自我関係は、勝手にお節介しておいて見返りがないことに不満を感じ合うという関係になりやすいのです。

 

“最高”の相性

一方、私がしばらく前に論じた「最高の相性」は、一方の自我が他方の超自我にあたるけれども、超自我関係とは違って、自覚的な短所を補完し合うことができる関係です。それは、一方の主導機能(1st)が他方の脆弱機能(4th)と一致し、かつ一方の創造機能(2nd)が他方の努力機能(3rd)と一致するからです。

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1stは最大の武器であり、人に期待はしません。そのため、超自我関係とは違って、相手が気づいていないミス(4th)を自然とカバーすることができます。また、3rdは苦手なりに頑張ろうとする機能ですから、内心期待していること(2nd)を、相手は頑張って手伝おうとしてくれますし(3rd)、逆に向こうが内心期待すること(2nd)も、苦手なりにやってあげることができるのです(3rd)。つまりは、お互いに短所を補いつつお互いの配慮を実感できる関係ということになります。

ソシオニクスの双対関係が自己実現のための相性なら、この関係は自己実現の前段階の相性といえるかもしれません。つまりこの関係とは、分業体制をしくことで、各々が超自我の命令に消耗することなく自分の成長を目指せるようにするという関係です。ENTJは、自分の幸せを目指す(ISFP)ために、細かい作業をやってくれる秘書(ISFJ)を必要とします。そしてISFJは、自由な挑戦をする(ENTP)ために、自分を守ってくれる権威(ENTJ)を必要とします…………

 

………ここまで書いて、この関係のパートナーは精神分析で言うところのではなかろうかと思い始めました。何も言わなくてもミルクをくれる母。不完全な自分を許してくれる偉大な母。この関係が作り出す世界は、母子分離以前の、すなわち父=超自我が“未だ”存在していない世界です。言い換えればこの関係は、母子一体という完全な世界を作り出すという意味で、確かに“最高”の相性なのでしょう。

実際、私はこの関係に魅了されました。この“最高”の相性が母との調和を再現できるなら、もう自分の短所に苦しめられることもなくなるわけです。完全に調和していて全員が幸福である「すばらしい新世界」への幻想はどんどん強化されていきます。

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まず、高校時代からの友人がESTJだったことが一番大きかった。確かに自分のやってほしいことをやってくれるし、とても居心地が良かったのです。しかもESTJの知人はこの友人だけであり、彼女と仲良くしている限りは反証されることがありません。そして私はこの幻想を守るために距離感を調整しながら仲良くし続けることでしょう。

ところで、ユングの概念にグレートマザーというものがあります。子を慈しみ育むという温かな一面と、子を呑み込んで破滅させるという恐ろしい一面を兼ね備える偉大な母のイメージです。母と調和しているという居心地の良さは、母から一生離れることができなという恐怖と表裏一体です。だからこそ母からの決別、すなわち自立が必要となるのですが、“最高”の関係がソシオニクスで衝突関係と言われているのは示唆的です。この関係は時に超イドを学んでいく中で、まるで母と衝突、決別するかのように、終わりを迎えるからです。現に私の周りで、ずっと仲良くしていたのに突然絶交してしまった2人がいました。それはきっとどちらかが母への幻想をバッサリ捨てて自立の道を進み始めたことの現れです。

自己実現の相性論ソシオニクスは、母との決別から始まります。だからこそ双対関係は、母という幻想を断念した者同士の関係であり、自立した大人同士の関係であり、必然的にぎこちなさを内包しているのかもしれません。

 

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