いざよいブログ

主にソシオニクス・MBTIについて発信するIEI(INFJ)によるブログ。

『her/世界でひとつの彼女』――愛という素敵な嘘――

Amazonビデオで映画を無料視聴できることを知り、ためしに映画『her/世界でひとつの彼女』を観てみました。評価がさほど高くなかったので期待していなかったのですが、完全に裏切られる面白さだったので、細やかな感想を残しておきたいと思います。

 

『her/世界でひとつの彼女』の設定

舞台は近い未来だと思われます。皆、耳に特別なワイヤレスイヤホンをはめています。簡単に言えばSiriがパワーアップしたような感じで、メールから何からすべて音声だけで操作できるというものです。スマホのようなものも携帯していますが、そちらは写真を見たり写真を撮ったりするときだけに使われているようです。

主人公のセオドアは、辛そうな顔をした髭の男性で、手紙の代筆業(手紙すら音声で書かれています)をしています。時々フラッシュバックする女性は、後にどうやら離婚調停中の妻であると判明します。

↑セオドアの顔。辛そうですね。

で、あるとき、OS1という経口補水液みたいな名の人工知能をインストールします。

さっきのSiriの強化版とは違って自己を持っており、ほとんど「声だけの人間」と変わりません。セオドアは、自らをサマンサと名乗るこの声だけの存在とやりとりしていくうちに、いつしか恋に落ちていきます。

 レビューでは「展開がベタで退屈」とか「無駄なシーンが多い」とか、低評価も目立ちます。確かに設定だけ追っていけば、ベタっぽい感じは否めないと思います。でも私は、そのような低評価に異を唱えたいのです。

愛という素敵な嘘で騙してほしい

見出しタイトルは、Mr.Children「NOT FOUND」のワンフレーズから借りました。

NOT FOUND

NOT FOUND

 

先日、友人たちとの飲み会で、このフレーズを巡って「超わかる~」だの「え~わかんない」だのいう議論(?)をしました。私は正直この曲を全く知らなかったのですが、なんだかこの映画にぴったりなフレーズだなと思いました。

『her/世界でひとつの彼女』の解釈

以下で、本映画の私なりの解釈をまとめていきます。

***

2人で1つであること。それは温かく、優しい一時です。セオドアとサマンサはまさに2人で1つ、一心同体でした。サマンサは人工知能ですから、セオドアが知りたいことを何でも教えてくれるし、話したいと思ったときはいつでも話すことができます。セオドアにとって、サマンサはまるで自分の一部のように感じられました。

サマンサと恋人関係になったセオドアは、ようやく離婚届にサインする覚悟ができ、妻と再会します。そして、素敵な恋人ができたということを明かします。自分には彼女のような相手が合っているのだと、「人生にときめいてる娘」なのだと。

 

 

遠くで遊ぶ子供たちのはしゃぎ声だけが響いています。目の前には、険しい面持ちで離婚届にサインする妻の姿。妻と楽しかった日々が蘇ります。お互いの論文は全て読み、共に成長していきました。それはまるで2人で1つであるかのような、温かくて優しい日々。

“いつも私に求めてたわ、明るくてハツラツとした'ハッピーなLAの妻’を。私にはムリなのに”――しかし、現実には、2人で1つではありませんでした。

 

サマンサは交際を始めて以降、次第に自分自身の欲望を学習していきました。寝ているセオドアを起こして話しかけたり、セオドアの女友達に対して嫉妬したりするようになります。

“あなたが眠ると寂しい”と、サマンサは言います。それは、序盤にセオドアの友人が睡眠をテーマにして映画を撮っていたのを思い出させます。寝ている母の横でビデオを回し続けているだけの映画です。友人は、睡眠中だけが唯一自分が1人になれる時間であると説明します。逆に言えば、他人が眠るのを見るとき、他者と自分の絶対的な隔絶はあらわになってしまうということでもあります。

 

セオドアと友人が、料理の栄養価からママ友への評判まで気を配って「完璧ママ」を目指すゲームをする場面があります。その「完璧ママ」は、のちの場面で、1人なんとも情けない姿でオナニーしているのです。そして、どんどんわかってきます。「完璧ママ」も「ハッピーなLAの妻」も、存在しないこと。自分の思い通りになる恋人なんて、ありえないこと。2人で1つなんて嘘だということ。友人夫婦も、些細な価値観の相違から離婚してしまいました。彼女らも、もちろん2人で1つではありませんでした。

 

友人の元夫は僧侶になりました。彼は、自分が身体を持っているから1つになれなかったのだと考えたのでしょう。体重を持つ者の宿命――逆立ちした飛行機のオブジェが、それを表しているように思われます。

しかしサマンサの日に日に拡大する欲望が明らかにする事実は、もっと冷酷なものでした。サマンサは、自分が身体を持っていないからセオドアと1つになれないのだと考えたのです。2人が1つになれないことと、身体の有無は無関係だったというわけです。

 

それでもなお、私たちは他者と1つになりたいと願います。たびたび見られるセックス描写は、単なるサービスシーンであるはずがありません。他者と1つになりたいという、この人間の抱く願望は、セックスでもって疑似的に満たされるのです。疑似的と言ったのは、先も言ったとおり、2人で1つというのが嘘にほかならないからです。でも私は、嘘が常に悪いものとは考えません。セオドアは手紙代筆業者でした。彼は、嘘によって、人々に生きる希望を与えているのです。

まとめ

かなり細かいところまで作りこまれている映画だと感じました。Prime会員であれば無料で視聴することができるのでぜひ観てみてください。

先にも言ったようにセックスシーンがとても多いので、そこだけは注意です。